「委ね委ねられたり」の世の中が私の理想です。

私は20数年来、演劇の畑に身を置いてきました。

舞台上はすべてが虚構です。そのあらゆる嘘を、本当のものと感じさせ、観客の心の琴線を震わせるためには、演じる者自身の心と体をどれだけ解放できるかが勝負だと思っています。解放することとは、自分でないもの(相手役や観客や舞台装置、小道具に至るまで、その場にあるすべてのもの)に、自分をすべて委ねることです。

自分を委ねる・・・これはとてつもなく難しいことです。怖くて勇気のいることです。怖いから武装してみたり、防御してみたり、そうかと思えば自分を押し通してみたり、あるいは逃げ出してみたり…。

それを克服するための訓練を私たちは欠かしません。相手の息遣いや、気持ち、音、におい、観客の気持ちの動き、更には大道具、小道具の、いってみればそれらの息遣いまでも感じるために、自分の持ちうるすべての感覚で精いっぱい見聞きし、想像します。そこでようやく本当のモノを描き出していくのだと私は思っています。

例えば、お百姓さんや漁師が、雲や水の動き、言い伝えなどで観点予想をするように、あるいは作物や獲物と気を合わせるように、です。

 

以前、「みなまた海のこえ」という作品を手がけました。熊本水俣の水俣病を題材にした石牟礼道子氏の作品です。上演するにあたり、ご本人とお話をさせていただきました。石牟礼さんはこう語ってくれました。「風土の韻があると思う。風土が伝えてくれた韻のようなもの。気配の声、山の声、水の声、そういうものと同属意識というか、畏れの感情。日本人はそういうことが伝えることができていたと思います。人間の知恵は本当に深いものがありますし、そういう深い知恵に助けられて私も生きているって思います。現代人はそれを忘れて科学的に何でもあるぞって言ってますけど、心を委ねたり委ねられたりというのは、科学では作り出せないですよね。」

 

私たち人間は、大きく分けて2つの心の安定を求めて生きていると私は考えました。ひとつは、経済的社会的な安心。 自然界の環の中で生きるヒトとしての生物的安心感。これは私たちが特に意識せずとも、自然とともに生きていればおのずと心の底に培われてきたはずの意識です。

現代はこの2つのバランスが崩れてしまっているのではないでしょうか。一見すると、世の中の発展には経済の安定だけを求めていれば問題点が見つかっても解決法を見出し、幸せに暮らしていけるように思いがちですが、本当にそうなのでしょうか。

人は自分たち以外のあらゆる生き物同様、太陽によって熱量を蓄え、他の動植物によって生かされ、そしてまた原子となって還っていきますが、その仕組みを土壌と風土が教えてくれます。

私たちはその風土と土壌の中で他者を受け入れる器を作り上げ、共存の術を学ぶのではないでしょうか。

この「心を委ねたり、委ねられたり」の感覚こそ、私たちの安定の根底にあるものではないでしょうか。委ねたり委ねられたりの関係でなければ、自然とも、人とも、国同士の関係もただ一方的に押し付けるだけのゆがんだ関係になってしまうのでは、と考えます。

自然破壊はその最たるものですし、それにまつわるエコ対策も、国同士の関係も、個人の安全を守るセキュリティも、すべて一方的に他を排除して我が安全を確保しています。もはや人同士の関係も崩れ、昨今の子ども同士で命を奪うような事件、あるいは子どもたちのいじめ問題、親子間の殺人事件なども、やはり心で委ねたり委ねられたりする関係を失った象徴的な事件と言えるのではないでしょうか。

国どうしのこと。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」


これは、日本国憲法の前文の中の一節です。全世界の国民が平和のうちに生存する有する…なのに、いま日本は、平和を守るといいながら戦争をしようとし、人を殺すことで法を守ろうとしています。

私たちは戦争ですべてを失った絶望の中から、ようやくこの境地へ達したはずです。

憲法を守るために、私も「戦争をさせない1000人委員会・すわ」の呼びかけ人となり、1000人委員会・信州からのアピール文を朗読しました。

党派を超えて広がりを見せているこの運動を私も呼びかけ人の一人として、力を注いでいきます。


原発に頼りたくない

以下は、大飯原発運転差し止め請求の際の判決文のなかの言葉です。

「被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されない事であると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」


素晴らしい判決だと、私は感動しました。

今後、電力の自由化が進んでいきます。売電ということを、企業だけでなく個人でももっと考えられるようになっていくでしょう。多くの家庭で発電できる未来にしたい。そのための方法、アイディアをできる限り集めます。

そして、原発事故から4年、放射能の影響が出てくる心配な時期です。

武居光宏市議が訴えておられた放射能の検査と健康診断に甲状腺がん検査をする要求を引き継いでいきます。

原発の時代を生きた者の一人として、責任をもってきちんと付き合っていかなくてはならない問題だと思っています・